福岡・博多 歴史探訪

ここでは、日宋貿易を通じて世界の文化が行き交った、中世の最先端都市「博多」の歴史・文化の奥深さをご紹介します。

ようこそ、福岡へ

人口約510万人(平成28年3月現在)、面積約4,986km²。
福岡県は、国内の九州・山口1,500万人のマーケットの中心であるだけでなく、広くアジアを視野に入れた拠点として、各企業や専門教育機関が数多く集積しています。
古代から大宰府政庁や鴻臚館などがおかれた福岡県は、中国大陸や朝鮮半島との交流の窓口でした。県内の随所には、今も歴史と文化の香りただよう名所が残されています。
九州国立博物館や福岡アジア美術館など、アジアの歴史や文化を体感することができる施設も整っています。

歴史や伝統と最先端の文化が混在する街、博多歴史や伝統と最先端の文化が混在する街、博多

「博多」という地名は奈良時代の8世紀には登場します。
6世紀ごろの大和朝廷時代には、大陸との外交拠点(大宰府)として重要な場所でもあり、平安時代に入ると朝鮮・大陸との貿易の中心地として栄えました。さらに天正15年(1587年)に、アジアに向けた重要な港町と感じた豊臣秀吉が「博多町割り」という都市復興計画を実施しました。
今日の博多山笠の運営組織「流」の原型はこの時にできたと言われています。徳川時代に、筑前ノ国に封ぜられた黒田氏は、赤坂山(現中央区・赤坂)を削り、築城し舞鶴城と名づけました(現在の城跡)。
大手門・赤坂門・舞鶴などはこの時にできた地名の名残です。城下町を黒田氏の出身地に因んで福岡と命名します。
以後町の中央を流れる那珂川を挟んで中洲の関所で区切られ、西側を武家がいる城下町の「福岡」、東側を町人(商人)の町「博多」と区別して呼んでいました。明治22年(1889年)、市制が施行され福岡市が誕生します。
翌23年の市議会において、「市名変更(博多市とする)」の建議が提案 されますが、議員票が同数だったため議長の票の1票差で否決され、
当時の国鉄の駅が「博多駅」となることで政治的な決着がなされたという エピソードがあります。

A.櫛田神社

博多祇園山笠が奉納される神社で、飾り山笠が一年中展示されています。博多っ子からは「お櫛田さん」の愛称で親しまれている,博多の総鎮守です。祭神は正殿に大幡主命(櫛田宮)・左殿に天照皇大神(大神宮)・右殿に素戔鳴尊(祇園宮)の三神で拝殿には3つの鈴が並んでいます。博多の総氏神様としては最古の歴史を有し、天照皇大神(大神宮)、大幡主大神(櫛田宮)、素戔嗚大神(祇園宮)が祀られています。以前は3つの社にそれぞれ祀られていたそうです。大幡主大神は孝謙天皇天平宝字元年(757年)託宣によって鎮座され、素戔嗚大神は天慶4年(941年)藤原純友の乱の追討使小野好古が戦勝奉賽のために勧請されたといわれています。天照皇大神の奉祀についてはあまりにも古く史実としてはっきりしないそうです。

B.聖福寺

臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は安国山です。建久6 年(1195)、千光祖師栄西の開山です。二度の入宋を果たして帰国した栄西が建てた日本最初の本格的な禅宗寺院です。 ・現存する主要建造物は江戸時代に再建されたものですが、三門、仏殿、本堂が一直線に並ぶ伽藍配置は、禅宗寺院の典型的な伽藍型式をよく示しており、境内は国指定史跡となっている。大鑑禅師像その他の国指定重要文化財を所蔵しています。境内にある瑞応庵には、無銘の石碑に転用された花崗斑岩製の蒙古碇石(出土地不明)があり、県指定考古資料になっています。また、戦国時代の史料である「安山借家牒」、「聖福寺古図」は市指定文化財になっています。

C.東長寺

真言宗の九州における本山です。山号は南岳山、本尊は弘法大師です。寺伝では大同元年(806)、唐から帰国した空海(弘法大師)が海辺の地に一伽藍を建立したと伝わります。後に、兵火により焼失しますが、二代福岡藩主黒田忠之が現在地に再建しました。千手観音像(藤原時代)は重要文化財です。輪蔵と覆屋からなる六角堂は形態的・機能的に優れた仏殿で市指定の有形文化財(建造物)となっています。寺内に黒田忠之、光之(三代藩主)などの墓があり、黒田家墓所として市指定史跡となっています。平成4年には「福岡大仏」が完成し、多くの人に親しまれています。

D.承天寺

臨済宗東福寺派の寺院です。山号は萬松山です。開山は聖一国師 円爾弁円(えんに べんねん)によるものです。大宰少弐武藤資頼が円爾弁円を招聘し、宋出身の貿易商・謝国明の援助により仁治3年(1242)に創建されました。寺蔵の釈迦三尊像(鎌倉期)、 禅家六祖像(鎌倉期)、銅鐘(高麗時代)は国の重要文化財に指定されています(これらの文化財の一般公開は行われていません)。

E.博多歴史の散歩道

博多駅前からまっすぐ北へ延びる大博通りの歩道上に設置されたモニュメントで構成される散歩道です。遺跡出土品のレプリカや写真などが展示され、奴国の時代から近代までの博多の歴史を学ぶことができます。

F. 九州鉄道発祥の地の碑

九州の鉄道関業九十周年を迎えるにあたり、ここに先人の偉 業を偲び合わせて鉄道発祥の地を永久に保存するため、出来町公園に碑を建立されました。

G. 博多町家ふるさと館

明治・大正時代の博多の暮らしや伝統文化を紹介する施設です。博多織の展示の他、博多挟み、博多人形など、博多ならではのお土産物も揃っています。

H. はかた伝統工芸館

福岡の伝統工芸品である「博多織」と「博多人形」などの福岡・博多に縁のある伝統工芸品の優れた作品を展示・紹介しています。

I. 川端商店街

博多リバレイン、博多座からキャナルシティ博多までをつなぐ、およそ400メートルのアーケードに約100店舗が並ぶ商店街です。博多祇園山笠の期間には、唯一の走る飾り山笠が展示されます。

博多祇園山笠

「博多祇園山笠」は、700年以上続く櫛田神社の奉納神事で、毎年7月1日から15日まで開催されます。その起源は、仁治二(1241)年に博多に疫病が流行した際に、承天寺の開祖・聖一国師が祈祷水を撒いて町を清め、疫病退散を祈願したことが始まりとされています(※諸説あり)。
当時の山笠は、高さ15メートル前後のものを担いて、街中をゆっくりと練り歩いていましたが,明治末に電線が張り巡らされたことから、それまでの山笠を「飾り山笠」として残して、別に高さを抑えた山笠「舁き山笠」を作って担ぐようになりました。2016年11月にはユネスコの無形文化遺産に登録されました。

「博多祇園山笠」は、毎年度7月1日から15日で実施されますが、主な見どころは以下のとおりです。

○7月1日【飾り山笠公開】
福岡市内各所に大きな「飾り山笠」がお目見えする。
○7月12日【追い山馴らし】
15日の追い山に向けた予行練習として約4キロのコースを走り、本番さながらのタイムレースが繰り広げられる。(開催時間 午後3:59~)
○7月13日【集団山見せ】
呉服町交差点から中央区天神の市役所前まで1.2キロの道のりを走る。市長をはじめ地元の名士が台上にあがる。(開催時間 午後3:30~)
○7月15日【追い山笠】
午前4時59分、大太鼓の合図とともに一番山笠が櫛田神社の境内に舁き入る(担いで入る)。以降、二番山から七番山まで一定の間隔を置いてその後に続き、櫛田神社の境内から街中へと駆けだしていく。(開催時間 午前4:59~)

▼博多祇園山笠公式サイト
http://www.hakatayamakasa.com/

博多駅

九州の玄関口、博多駅。博多駅は明治22年の九州鉄道開通時に、現在の出来町公園付近に設けられました。その後、祇園交差点付近に移転。更に旅客数の増大や鉄道の高速化に伴い、昭和38年に現在地に移転しました。現在の駅舎は、平成23年の九州新幹線開通に伴って建て替えられ、4代目となります。

太宰府天満宮

太宰府天満宮は、福岡県太宰府市宰府(さいふ)にある神社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は梅紋。菅原道真(菅原道真公、菅公)を祭神として祀る天満宮の一つ(天神様のお膝元)。初詣の際には九州はもとより日本全国から毎年200万人以上、年間にすると850万人以上の参詣者。現在、京都の北野天満宮とともに全国天満宮の総本社とされ、また菅公の霊廟として篤く信仰されています。

▼太宰府天満宮公式サイト
http://www.dazaifutenmangu.or.jp/

筥崎宮

筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。 御祭神は筑紫国蚊田の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年、醍醐天皇が神勅により「敵国降伏」の宸筆を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分宮より遷座したことになっております。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。

▼筥崎宮公式サイト
http://www.hakozakigu.or.jp/

元寇防塁

文永11年(l274)蒙古の襲来を受けた鎌倉幕府は、建治2年(1276)に博多湾の海岸線に石築地(いしついじ)を築いて再度の来襲に備えることにしました。これを元寇防塁(げんこうぼうるい)と呼びます。長垂海岸から小戸海岸にかけての約2.5kmの間、白砂と松原の境を元寇防塁が縫うように走ります。ここを生の松原地区元寇防塁と呼びます。昭和43年発掘調査が行われ、海への傾斜面に幅1~1.5m、残高1.8mに石を積み上げ、その後ろを粘土で補強していることが判明しました。また積み上げられた石の種類が、西側は長垂海岸に見られるペグマタイト(花崗岩)、東側は小戸岬一帯の砂岩ときれいに分かれました。史料によればこの付近の防塁構築は、姪浜が肥前国、生の松原が肥後国とあり、この石材の違いは両国の分担地区を示す可能性があります。『蒙古襲来絵詞』に、肥後の御家人竹崎季長が防塁の前を馬上で進む場面は、この生の松原の情景である。さらに防塁の前面に玄武岩で作られた一列の石積みがあり、修理のあとと考えられています。 防塁の一部は築造時の高さに復元され、見学できるようになっています。

志賀島

福岡市の北西部、博多湾に浮かぶ志賀島(しかのしま)は漢委奴国王の金印が発見された場所として有名な島です。金印だけでなく島内には各所に万葉歌碑が点在しており、歴史を感じられる観光スポットとなっております。更には、福岡市街地を見渡すことの出来る展望台も!天気の良い日は絶景を楽しむことが出来ますよ。周囲約11キロと小さい島ながら見所たくさんの志賀島。福岡を観光するならぜひ一度は訪れて欲しいスポットです。

博多どんたく

毎年ゴールデンウィーク期間の5月3日〜4日に開催される「福岡市民の祭り 博多どんたく港まつり」は、動員数が200万人を超える国内最大級の祭りです。そもそもの起源は、800年を越える伝統を有する「博多松囃子(はかたまつばやし)」。明治5年(1872年)、博多松囃子は中止させられることになりましたが、その後、明治12年(1879年)に再開され、「博多どんたく」と呼ばれるようになりました。オランダ語の休日という意味の「Zondag(ゾンターク)」がその語源と言われています。

▼博多どんたく公式サイト
http://www.dontaku.fukunet.or.jp/

キャナルシティ

キャナルシティ博多は、1996年4月20日に開業した再開発プロジェクトで、約4万3,500平米の敷地に、ショッピングモール、映画館、劇場、アミューズメント施設、2つのホテル、ショールーム、オフィスなど、さまざまな業種業態が軒を連ねる複合施設です。曲線的で色彩豊かな建物が並ぶ街の中央には、約180mの運河(キャナル)が流れ、ダイナミックな噴水のショーが時間の流れを知らせます。 水辺のステージでは、パフォーマーによるイベントや音楽ライブが日々開催され、常に街の中には賑わいが溢れ、誰もが楽しみ、集い、憩うことのできるエンターテイメントシティなのです。

▼キャナルシティ公式サイト
http://www.dontaku.fukunet.or.jp/

マリンワールド

2017年4月12日(水)にリニューアルをした「マリンワールド」は『いつも新しい私になれる水族館』をコンセプトに展示の進化、空間演出の強化、施設の快適性の向上により、海をより身近に感じられるリゾート施設です。地元のみなさまはもちろん、観光のお客さまにも人気のスポットとなっています。

▼マリンワールド公式サイト
http://www.dontaku.fukunet.or.jp/